あっという間の一週間が過ぎた。お詫びとお礼の挨拶まわりの日々が続く。
今回の選挙では、後援会やボランティアの皆さんそして私自身もとにかく全力で戦った。その意味では、悔いのない選挙戦であった。しかし支えて頂いた皆さんが早朝から深夜まで手がかじかむ程の寒さの中、本当に一心に活動して頂く姿を見ると何としてもいい結果で応えたいという気持ちが凄く強かったのも事実である。だからこそ残念であり申し訳ない気持ちである。
そんな中で本当に多くの人から心こもった励ましや慰労の言葉を頂き有り難い感謝の日々でもある。改めて二つの言葉をしっかり胸に刻みこんだ。
「雨天の友」 「良き友は 心の花の 添え木かな」
多くの事を学び、人の情けの有難さをしみじみ感じた一週間でもあった。
12月11日(木曜日)
本日は、細野豪志元環境相、女優の杉本彩さんが、私への応援にかけつけてくれました。
実力、人気ともに傑出している細野豪志さん。
そしてテレビでおなじみの杉本彩さんも、「犬や猫は人間に振り回される。中でも捨てられた犬猫は、もっとも弱いんです。誰も見向きもしない、捨て犬、捨て猫たちの命を、人間の命と同じ、尊い命として救おうと動く政治家、その為に被災地に飛んでいく政治家、それが城島光力さんです」と、スピーチしてくださいました。
杉本彩さんは、被災地に取り残された動物の問題や、捨て犬や猫の殺処分の問題など、動物虐待をなくすための運動を一緒に取り組んできた仲間です。
そして川崎市では、多くの関係者のご尽力で動物の殺処分ゼロが昨年度に実現しました。行政、動物愛護団体、獣医師の皆さんの、本当に大変な苦労があったわけですが、私は、川崎市で実現できたことを全国の拡大させるつもりです。
そのためには自治体への助成制度など国の事業レベルでの様々な仕組みを強化する必要があります。
動物も含めて命の大切さを守る政治なのか、命を軽視する政治なのか、これはきわめて重要な分かれ道です。
政治は弱い立場の者を守るもの。
私は初めての立候補以来18年間、この一点を貫いてきた、という自負があります。非正規で働いていらっしゃる方、被災し今なお避難生活を余儀なくされている方、拉致被害者とその家族、そして、物言わぬ動物たちも。
今日は、細野さんの他に、参議院の金子議員、石上議員、柳沢議員、小林正夫議員も駆けつけてくださいました!
皆さん、私と同様、政治の方向に強い危機感を感じているのです。
昨日衆議院が解散された。
秋晴れの下今日10時30分から地元の稲毛神社の宮司による神事を執り行い11時から事務所開きを開催した。神事の最後に宮司から「このように城島先生は本当に国を愛していることは何より素晴らしいことです。本物の政治家として一層のご活躍を祈念致しています」というご挨拶を頂きすがすがしい気持ちになった。
そして事務所開き!予想を超え本当に大勢の方々に参加いただいた。各界を代表する方々やご近所をはじめ地元の皆さんのお顔が多く心強くまた有り難い限りであった。党本部からは福山政調会長が駆けつけてくれ、大変熱のこもった激励の挨拶を頂いた。県連代表の金子参議院議員、牧山参議院議員や連合本部から神津事務局長も駆けつけて頂き心こもった挨拶を頂いた。
その激励の挨拶を聞きながら私は何度も何度も参加頂いたお一人おひとりに心の中で「有難うございます」と感謝の言葉を呟いた。
神事のあとのすがすがしい気持ちからやがて胸の奥から湧いてくる熱いものを感じた。
その思いを胸にお礼と決意の挨拶をした。
「2年前の落選という厳しい選挙。その後も浴びせられる厳しい声。その中この2年間必死に頑張ってこれたのは、応援して頂く方たちの支えと、自分自身3年3か月の現職与党時代、拉致問題委員長、政調会長代理、幹事長代理、国会対策委員長そして財務大臣としていま振りかえっても全く悔いのない政治家として全身全霊をささげたとの確信があったからである。私は政治には、理にかない、法にかない、情にかないのとくに国民の情、思いに合致することが最も大事だと思っている。その事からしても、国民との約束である議員定数削減なくして消費税増税なしが安倍政権で反故にされたのは最大の約束違反であり本当に怒りで一杯である。わたしはもう一度初心に帰り、25年のサラリーマン生活から政治家を志したときの「正直者が報われる社会」を改めて今回基本姿勢にした。今のマネー中心、富裕層、資産家優先に歯止めをかけ、一人ひとりの現実の暮らしにしっかり光をあてた政治への転換をはかるきっかけとなるよう全力で頑張る決意である」といった主旨の挨拶をした。
晩秋の空はあくまでも青く澄み渡り様々な思いを胸に刻み込んだ事務所開きであった。
民主党政調会長 福山哲郎 参議院議員
連合本部 神津里季生 事務局長
不思議な事に、安倍総理がAPECはじめ長く外遊している間に、国内で一気に解散風が吹き荒れ報道どうり解散となった。
そして、「大義なき解散」との意見でほぼ一致している。自民党内部でも多くが同様の見解のようだ。なかでも自民党岐阜県連は「国民軽視の党利党略解散で断固反対」との声明を発表したほどである。
そして17日に発表された7-9月期のGDPは年率1.6%減という衝撃的な数字であった。4-6月期が年率7.3%減であったことから、誰しもがまさかマイナスになろうとは思わなかったと思う。国内の新聞は躍起になって深刻さを抑えた記事だが、海外の報道は日本の景気後退と報じている。私はこのブログで今年の春闘が物価上昇以下に終わったことから、好循環の景気回復は難しいと書いたものだ。予想どうりである。私からすれば驚くにあたいしない。アベノミクスの限界と失敗が明確になったと思う。一昨日、私の集会で枝野幹事長は「安倍さんは民主党政権の時より経済を良くした、良くしたと口癖のようにいうがとんでもない。民主党政権3年間ではGDPは5.4%伸ばした。一方安倍政権この2年間GDPの伸びは1.3%しかない。これでよく言えたもんだ」と述べた。全く同感!強者や富裕層だけに富が集中しつつありまた過度な円安は海外への私たちの富が余計に流出している。これでは国内の好循環はなおさら無理である。
こんな状況での解散である。おそらく安倍総理は「いまやれば勝てる」と判断したのだろう。そして、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定も国民の承認をもらったと胸をはるつもりだろう。さらに向こう4年間、自分の思いどうりの政治を進める腹づもりだろう。国民を見くびってはいけない。安倍総理にとって「取り返しのつかないことになる解散」となるよう全力で闘います。
尚、皆様にご案内申し上げます。
11月22日(土) 11:00より 城島光力事務所の「事務所開き」を行います。
住所は川崎市川崎区宮本町2-27。
いま、世界で最も脅威は「イスラム国」と「エボラ出血熱」であろう。どちらも急速にその脅威が拡大し国連やアメリカ中心に国際的連携での対応が始まった。
私は、この二つの脅威に共通するのは、その根本原因の一つに「グローバル化」があるのではないかと思う。グローバル化には光と影があるがその影の部分である。
即ち、とりわけ経済のグローバル化により、世界のすみずみまで開発が進む一方で貧富の差が拡大し貧困にあえぐ人々が増大している。この事が根本原因の一つだと思う。
エボラ出血熱はコウモリがウィールスの宿主だそうだ。発生源のアフリカの森林などの開発が急速に進み宿主のコウモリと接触する人や機会が一気に増えてきたといわれている。エボラだけでなくエイズ、鳥インフルエンザ、BSEなど近年の重度な感染症は殆ど動物由来のものであることも重要な点である。
「イスラム国」についても、タリバン、アルカイダ、ヒスボラなど次々と新たなイスラム過激派が誕生し勢力拡大している。この背景には貧困や不条理な格差の拡大もあるのではないかと思う。
先ごろ日本でもシリアでの「イスラム国」の戦闘に参加しようとした大学生の事が報道され驚いた。彼の動機は今一つ定かではないが「どうせ日本にいても1~2年のうちに自殺しただろう」という発言に「無敵の人」という言葉を思い出した。
今年3月あの「黒子のバスケ」をめぐる脅迫事件の渡辺被告が初公判の冒頭陳述で自らの事を「無敵の人」と表現して有名になった言葉である。彼は「自分のように人間関係も社会的地位もなく失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を『無敵の人』とネットスラングでは表現する。これからの日本社会はこの『無敵の人』が増えこそすれ減りはしません」と述べた。
そして格差社会を人生格差社会と表現し、将来に希望を見いだせず、人生のやり直しや逆転も不可能だと悟ったと述べた。
2008年の秋葉原の無差別殺傷事件も同様の背景であった。
日本も含め今や世界的視点でこうしたいわば不条理的社会構造と思われることに真正面から向きあうことが二つの脅威の本質的解決には極めて重要だと思う。
先週の10月2日、定期的に開催している私の勉強会(朝食セミナー)で野田前総理に講演して頂いた。ちょうど2年前の10月は財務大臣に就任したときである。早いものである。
野田さんは、1時間本当に熱く語ってくれた。
『総理としての政権運営について、①懸案事項の課題を先送りしない②分厚い中間層に支えられる社会の二点を基本とした。そのために社会保障の安定、充実そしてそれを支えるため消費税増税が必要だと判断した。
これまでの政治は、次の選挙(Next Election)を優先し、次の世代(Next Generation)の事は後回しすることで、先送りの政治が繰り返されてきた。この政治に終止符を打とうと思った。
そして今年12月に安倍政権が判断することとなる消費税10%への判断について、7-9月のGDPはおそらくそんなに良い数字になるとは思えない。しかしその判断は日本の分岐点となろう。
基本的にはよほど深刻な数字でない限り消費税は10%にすべきである。それは、消費税増税によるリスクと増税しないリスクを比較すると、増税によるリスクは政権として対応策がとれる一方で、増税しないことによるリスクは政権として対応策が取れないものとなろう。しかもそれが現実となると日本が「万事休す」となる。
消費税増税については国民に負担増のお願いをする前提とした国会議員定数削減が未だ実現していないのは大きな問題である。あの衆議院解散の条件として当時の自民党安倍総裁が私との党首討論で約束したもので、しかもこの事は覚え書きとして署名までしたのである。是非とも早期に実現すべきである』
その他、外交含め幅広く本当に率直に熱く語っていただいた。出席者からも大変解かりやすく感銘を受けたと大好評であった。
野田前総理の講演
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りここ数日は爽やかな秋の日である。道端の彼岸花が美しい。
今週は「動物愛護週間」で今日は川崎駅地下街アゼリアで動物愛護フェアが催された。オープニングセレモニーには菊地副市長をはじめ、音楽家の湯川れい子さんや経営コンサルタントの堀紘一さんなども出席して盛会であった。地元獣医師会や動物愛護関係の各団体も参加し動物愛護の普及活動に汗を流していた。
毎年私も顔を出しているが嬉しいことに年々参加者が増えている様に思う。とりわけ川崎市は「捨て犬殺処分ゼロ」を達成した様に動物愛護の精神が市民に大きく広がっている。これは行政の努力と獣医師会や愛護団体との連携がしっかりしていることが背景にあると思う。
約1週間程前に突然女優の杉本彩さんから電話をもらった。久し振りで何だろうと思って電話をとった。「城島先生、お元気ですか?実は12月に川崎で「犬と猫と人間のよりよいくらし」というテーマでの特別講演をすることになったんです。対談形式なので私と一緒に出て頂きたいのですが」という内容であった。会場は川崎市の宮前市民館だという。もちろん喜んでお引き受けした。
杉本さんとは動物愛護法改正以来のお付き合いである。とにかく動物愛護活動の実践活動を全力で取り組んでいる人である。そして、今年2月にはEvaという動物愛護・福祉協会の一般社団法人まで立ち上げた。その設立パーティーには私も出席をし挨拶をした。何せ動物愛護活動には筋金入りの人である。
それにしても相変わらず動物虐待に関するニュースが後を絶たない。真に豊かな国、社会とは命を大切にすることが基本中の基本である。動物愛護の精神の普及は豊かな社会作りの重要な一歩であると思う。
杉本彩さんと
川崎駅東口地下街アゼリアにて
この三連休は久し振りの好天が続いた。白い雲が浮かぶ秋の空。季節は確実に秋へ移っていることを実感する。
北海道大学で開催さている獣医学会で小野寺教授(東大)と桐澤教授(酪農学園大学)高田教授(北大)の三人にお会いするために10日から11日まで札幌に出かけた。今世界で猛威をふるっているエボラ出血熱及び口蹄疫ウィールスに関して専門家の三人から様々な知見を教えていた頂くためである。大変有意義であった。そしてその10日の深夜。正確には日づけが変わった11日の午前3時頃。ぐっすり熟睡していた時、突然携帯電話が鳴った。すぐ音は消えたのでまた眠った。しかし再び音。眠い目をこすりながらさすがに4回目には携帯電話を手に取った。何と札幌市災害対策本部からの緊急の避難勧告のメールであった。驚いて部屋のカーテンを開けると外は雷雨しかも豪雨である。ホテルは札幌駅に隣接しておりしかも26階。避難の必要はない。しかしもし一軒家の自宅だったらどうだろうか?この雷雨の中、避難場所まで行けるのだろうか?など考えながらあの広島市の災害時の状況を想像した。現実この様な状況に遭遇するとなかなか難しい判断だなと思った。
この三日間は各町会の敬老会に出席した。どこの会場もお元気なお年寄りで盛会である。女性はもとより男女合計で平均寿命は日本が84才で世界一である。この世界一は本当に素晴らしいことだと思う。
しかし世界は広い。WHO調査(194ケ国)によると世界で最も平均寿命の短い国はシエラレオネで46歳である。いまエボラ出血熱の猛威がふるっている国である。またシエラレオネ近隣の国々は何れも平均寿命が非常に短い。
そのシエラレオネ近隣の西アフリカに約25年前に出張した事がある。ナイジェリア、トーゴ、ガーナである。ちなみに、それぞれの現在の平均寿命はガーナ64才(156位)トーゴ59才(172位)ナイジェリア55才(184位)である。その出張でいくつかの忘れ得ぬ思い出と光景がある。なかでも最も印象的だったのはトーゴの首都ロメの夜、ホテルの部屋から見た光景である。そもそもトーゴは現在も世界最貧国のひとつである。首都ロメと言っても想像を超えた貧しい暮らしぶりである。
ロメに着いた日の夜、味の素から出向している小山さん夫妻と市内のレストランで食事をしてホテルに戻った。シャワーを浴びホッと一息ついて部屋の窓から薄暗いロメの町を眺めた。外国人向けのホテルで私が泊まった部屋は10階辺りだった。そのうち何気なくホテルの玄関口に目がいった。エントランスに街灯が数本ある。高さは5~6メートル位で薄明りである。よく見るとその街灯の下に男性が2~3人立っている。
私は「外人を狙った客引きだな。でもお客がいるのかな」と思った。数時間後もまだそのまま男達は立ちっぱなしであった。
翌朝、迎えに来た小山君に「どうも一晩中ホテルのエントランスの街灯の下に男性が何人か立っているようだけど、客引き?」と尋ねた。小山君は即座に「何言ってんですか!あの人達は学生です。本を読んで勉強しているんです!家は勉強できる環境にないので一晩中外の街灯の明かりで勉強しているのです。今夜よく見てください」と言った。その夜ホテルの部屋からその街灯を見た。そこには昨夜と全く同じ光景があった。まさに蛍雪時代!極貧のなか夢を持ち向学心あふれた若者の姿をしばらく時間の経つのも忘れてジッと見つめ続けた。忘れられないロメの夜の光景である。
9月に入ったら一気に秋の気配となった。
明日(9月8日)は旧暦8月15日中秋の名月。ただ関東はどうも天気がよくないようだ。
先週の9月3日、地元川崎区殿町の川崎生命科学・環境研究センターで「ものづくりによるナノ医療イノベーション拠点シンポジウム」が開催された。このシンポジウムには福田市長をはじめ行政はもとより川崎商工会議所山田会頭以下多くの地元中小企業経営者に加え関係する企業及び大学の研究者も多数出席をし大盛況であった。主催は川崎市産業振興財団・COINSである。多摩川を挟んで羽田空港に隣接するこの殿町地区は国際戦略総合特区、ライフイノベーション・グリーンイノベーションの中心的地区である。一般にキングスカイフロントと呼ばれている。(キングスカイフロントとは「Kawasaki INovation Gateway at SKYFRONT」)
この地区が特区認定を受けたのは平成23年12月である。当時は民主党政権時であり、私は政調会長代理として全国の特区認定に党の責任者として政府との検討・協議に当った。結局この時は全国で7つの地区を国際戦略特区として認定をした。その当時から政府サイドでこの特区の担当をしていたのが和泉洋人現内閣総理大臣補佐官、健康・医療戦略室長である。従って私は和泉さんと何度も意見交換し協議を重ねたものである。その和泉さんが今回のシンポジウムの冒頭で「成長戦略からのキングスカイフロントへの期待」と題して基調講演をされた。如何に期待が大きいかが明快な内容の話しであった。
引き続き講演とパネルディスカッションであった。私が特に興味深く聞いたのは片岡一則(東大教授)及び木村廣道(東大特任教授)の講演であった。そのお二人の話しで最も注目したのは初めて聞く「体内病院」という発想と言葉である。その目標は「不可能を可能に」を目指して日本中・世界中から多様な人材・資金・最先端の技術を集積し、いつでも・どこでも・誰でも・心理的・身体的・経済的負担なく社会的負担の大きい疾患から解放され自律的に健康になっていく社会(スマートライフケア社会)を実現することだという。夢のような話である。
そこで「体内の血管などの微小環境を自律巡回するウィルスサイズのスマートナノマシン」を診断と治療に必要な要素技術をあらかじめ作り込んだものを創製し、人体内の「必要な場所で・必要な時に・必要な診断と治療」を行うというが「体内病院」構想の取り組みである。これができると入院も手術も不要で通常の日常生活をしながら診断・治療を何の苦痛もなく出来るという。まさにSFの世界である。しかしこの実現に向けて研究開発をしていくというのだから本当に驚いた。もちろんその他の最先端の研究分野の話しも大変興味深いものであった。
平成23年、特区認定された頃は様々な夢やプランはあったもののこの殿町地区はまだ実験動物中央研究所だけがポツンと建っただけの、広大な工場跡地は空地のままであった。
あれから約3年。今や研究開発の拠点となる建物が次々と現実の姿となっている。今年末からは国立医薬品食品衛生研究所が現在の世田谷からの移転に向け建設工事がはじまる予定だ。この研究所も当初は横浜への移転が検討されていた時に特区認定受けた殿町への移転を私が川崎市と一体となって厚労省に強く働きかけギリギリのタイミングで実現したものである。
シンポジウムが終った夕暮時。外に出て当時の光景を感慨深く思い出しながら夢だったことが実現しつつあることを実感し心が踊った。
安倍内閣の内閣改造及び自民党役員人事がいよいよ9月3日に行われる。
ここ数日は石破幹事長の処遇をめぐるニュースが中心であったが結果は入閣する形で調整されることになったという。これを受けて改造人事の推測記事のニュースが今日も各紙の紙面を飾っている。
ちょうど約2年前のことを思い出す。
当時、野田政権は消費税法案の成立をうけ内閣改造が決定的となった頃である。当時私は国対委員長として消費税増税の法案成立に全身全霊をかけ懸命に努力した時でもある。1月から9月8日までの長期国会の指揮をとった。振り返ってみると2年前の通常国会は今日の時点(8月31日)ではまだ開会中だったことになる。自分ながらよく長丁場を頑張ったものだと思う。だから9月8日(土)実質的には9月7日(金)で閉会した時は、ほっとすると同時に心身共に本当に疲れたものである。
そうした9月中旬に輿石幹事長に呼ばれた。
幹事長室に行くと「いやいやご苦労様。ところで樽床君と君には大変ご苦労をかけた。本当に感謝している。いよいよ内閣改造がある。もちろん人事権は野田総理・代表にある。ただ、もし何か希望することがあれば遠慮なく言ってくれ。野田総理に伝えることはできる」というありがたい話であった。「思いもかけないありがたいお話しです。心から感謝です」と言って少しお茶を飲みながら厳しかった国会を振り返りながら雑談をして退室をした。自分なりに夜帰宅して少々考えたがすぐに決断した。
さっそく翌日幹事長室に出向いた。「昨日のお話し本当にありがたいことです。心からお礼申し上げます。昨晩考えましたが私自身サラリーマン時代はもとより政治家となって以降振り返ってみますと、役職やポストについてあれがやりたい、これがやりたいと言った事は未だかつて一度もありません。今回もその姿勢を貫きたいと思いますので私からの希望はありません。引き続き党務であれ、あるいは内閣であれ、与えられた仕事をこれまで通り全力で頑張りたいと思います」と言った「よーくわかった」と幹事長は短く答えた。
10月1日(月)が改造人事の日であった。
それまでマスコミは今と同じ様に毎日あれこれ人事の観測記事を書き、TVは報道していた。私の名前も紙面で出されたが私には何の話も、またそういうニュアンスの話しすら来ることは全くなかった。
そして、いよいよ内示の9月30日(日)。朝はママさんバレーボール大会の開会式にでて挨拶したりといつものように地元活動をしていた。昼過ぎても何の連絡もなかった。午後もかなり過ぎた頃、地元活動で移動中の私の携帯電話が鳴った。野田総理からである。
「野田です。城島さんに財務大臣をお願いします」。一瞬息をのんだ。
「財務大臣ですか?」「そうです」
「ありがとうございます。全力で取り組みます」短いやり取りであった。
嬉しいというより、その重責、責任の重さに全身に緊張が走ったのを今でも鮮明に覚えている。
澄みきった空気に秋の訪れを感ずる2012年9月30日。
生涯忘れられない一日である。