中川昭一前大臣の醜態をさらけ出した記者会見はその姿が世界中に流れ、日本の政治及び我国への不信を生んだ。
とにかくひどすぎる。
しかも飛行機はチャーターするは、あの記者会見の後バチカンの見学に行き、そこでも禁止された行動をとるなどあきれるばかりである。
日頃「自己責任」ということを口にしていた人であるが由にその言葉の軽さにあ然とするばかりである。
大臣という立場であったことを考えると大臣の辞任だけでは済まされない。
議員辞職すべきであると思う。
世界における我国の信用を失墜させた責任は重大である。
その中川昭一氏と最初に会ったのは平成3年6月3日である。
当時私が代表をしていた、若手の労働組合のリーダーの勉強会である「春秋会」の会合でのことである。
それこそ将来の政界のリーダーと目される人達との意見交換をしたいという春秋会メンバーの意見を受けて、代表だった私は各政党の若手政治家と懇親する機会をつくった。
そして自民党からは財務大臣も務めることになる谷垣禎一氏を中心として約10名の衆議院議員が出席してくれた。
意見交換が終わり懇親の場に移り、中川昭一氏が私の隣に座っていた。
酒を酌み交わしながら何気なく「ところで中川さん、小沢一郎さんてどんな方なんですか?」と私がたずねた。
中川さんは「う・・・ん」とうなった後、大変興味深い話を聞かせてくれた。
「小沢さんというのはすごく公平な人だと思うんです。
というのは、私が父の後を継いで選挙に出た時に、小沢さんは自民党の総務局長だったんです。総務局長の最大の仕事は選挙対策です。解散になって自民党本部で公認証の手渡しを受けました。手渡ししたのは小沢総務局長です。
私は父があのような非業の死を遂げたものですから、当然何か励ましの言葉でもかけてもらえると思っていたんです。ところが何もない。少しショックでした。しかし後から他の候補者に聞くと全員ガンバレの一言だったのです。
その後、小沢さんとおつき合いしてわかったんですが、全員に同じ様に、平等に対応することに最大の配慮をする人だとわかってきたんですよ。誰か一人に特別な言葉をかけると他の人との対応に差がでてくる。それを善しとしないという人なんですよ」
この中川さんの話は大変興味深かったので今でも良く覚えている。
それからしばらくしてまた私の親友と中川さんの3人で会食をする機会があった。
お酒が入って私も相当飲んだように思う。
中川さんはいつの間にか裸になって踊っていた。
しかし決して変なお酒ではなかった。
その場の雰囲気も明るく楽しいものであった。
あの若き青年時代の明るい中川さんの姿は今はない。