(玄葉政調会長と大臣室にて)
それこそ「晴天の霹靂」だった。
菅新内閣誕生したのが6月8日の夜。その日の午前10時過ぎ、私の携帯電話に玄葉さんから電話が入った。ちょうど、東京電力労組東京総支部の定期大会に出席して会場を出てエレベーターに乗った時であった。
「何事だろう?」
「玄葉です。城島さんに政調会長代理をお願いしたいと思って電話いたしました。是非お願いします。」と、言う。
とにかく、驚いた。全く予想だにしていなかった。それまで、私の頭の中は委員長をしている拉致問題の解決への長期的アプローチのことで一杯であった。政権が変っても、とにかく一日も早い拉致問題の前進・解決に取り組まねばと決意を新たにしていた。
よもや、復活すると言われる政調のしかも代理という重責を担うことになるとは全く考えてもいなかった。
早速、中野寛成、田中慶秋両先輩と川端、直嶋両大臣に電話で報告をした。全員「大変だけど、ぜひ頑張れ」と励まされた。
翌6月9日から一気にマスコミの取材が押し寄せるようになった。
「政調復活ですね!」、「どういう政調にするんですか。」という質問に
「いや、復活ではない。与党としての新しい政調をつくるんです。」と、答える。
そして、内閣に入る玄葉政調会長と新しい政調の構想を練る日々が数日間続いた。
大枠まとまったところで、東大前総長の佐々木先生と政策研究大学院大学教授の飯尾先生の意見も聞かせてもらった。
「方向性は良いのではないか」という温かい励ましといくつかのアドバイスを頂いた。
そして、10名の副会長も決まり、いよいよ民主党の新しい政策調査会が船出をする。
政策決定の政府への一元化の原則は継続しつつ、民主党の総合力を発揮し民主党政権のシンクタンクとしての役割も発揮したい。
そしてこれが政権政党の政調だといい切れるものに時間をかけてつくり上げていきたいと思う。
それにしても会長代理就任以来、環境が一変した。マスコミ、政府関係機関、地方自治体をはじめ各団体等からの訪問が後をたたない。
しかも、参議院選挙である。日常の多忙に埋没することなく、常に中・長期かつ幅広い視野を心がけていかねばと思っている。