安倍内閣の内閣改造及び自民党役員人事がいよいよ9月3日に行われる。
ここ数日は石破幹事長の処遇をめぐるニュースが中心であったが結果は入閣する形で調整されることになったという。これを受けて改造人事の推測記事のニュースが今日も各紙の紙面を飾っている。
ちょうど約2年前のことを思い出す。
当時、野田政権は消費税法案の成立をうけ内閣改造が決定的となった頃である。当時私は国対委員長として消費税増税の法案成立に全身全霊をかけ懸命に努力した時でもある。1月から9月8日までの長期国会の指揮をとった。振り返ってみると2年前の通常国会は今日の時点(8月31日)ではまだ開会中だったことになる。自分ながらよく長丁場を頑張ったものだと思う。だから9月8日(土)実質的には9月7日(金)で閉会した時は、ほっとすると同時に心身共に本当に疲れたものである。
そうした9月中旬に輿石幹事長に呼ばれた。
幹事長室に行くと「いやいやご苦労様。ところで樽床君と君には大変ご苦労をかけた。本当に感謝している。いよいよ内閣改造がある。もちろん人事権は野田総理・代表にある。ただ、もし何か希望することがあれば遠慮なく言ってくれ。野田総理に伝えることはできる」というありがたい話であった。「思いもかけないありがたいお話しです。心から感謝です」と言って少しお茶を飲みながら厳しかった国会を振り返りながら雑談をして退室をした。自分なりに夜帰宅して少々考えたがすぐに決断した。
さっそく翌日幹事長室に出向いた。「昨日のお話し本当にありがたいことです。心からお礼申し上げます。昨晩考えましたが私自身サラリーマン時代はもとより政治家となって以降振り返ってみますと、役職やポストについてあれがやりたい、これがやりたいと言った事は未だかつて一度もありません。今回もその姿勢を貫きたいと思いますので私からの希望はありません。引き続き党務であれ、あるいは内閣であれ、与えられた仕事をこれまで通り全力で頑張りたいと思います」と言った「よーくわかった」と幹事長は短く答えた。
10月1日(月)が改造人事の日であった。
それまでマスコミは今と同じ様に毎日あれこれ人事の観測記事を書き、TVは報道していた。私の名前も紙面で出されたが私には何の話も、またそういうニュアンスの話しすら来ることは全くなかった。
そして、いよいよ内示の9月30日(日)。朝はママさんバレーボール大会の開会式にでて挨拶したりといつものように地元活動をしていた。昼過ぎても何の連絡もなかった。午後もかなり過ぎた頃、地元活動で移動中の私の携帯電話が鳴った。野田総理からである。
「野田です。城島さんに財務大臣をお願いします」。一瞬息をのんだ。
「財務大臣ですか?」「そうです」
「ありがとうございます。全力で取り組みます」短いやり取りであった。
嬉しいというより、その重責、責任の重さに全身に緊張が走ったのを今でも鮮明に覚えている。
澄みきった空気に秋の訪れを感ずる2012年9月30日。
生涯忘れられない一日である。