8月7日から友人と北海道の中標津町へ出かけた。
初めて訪問する中標津町は道東にあり川崎市と姉妹都市である。
深い緑に囲まれた林と広大な大地一面美しい緑である。
その中標津行きの飛行機に乗ってすぐ新聞(日経新聞)を開いた。2面の政治面をあけ「民主」の見出しの記事が目についた。記事は冒頭「今の民主党は上品すぎる、与党ボケではないのか」7月22日永田町の中華料理店。民主党代表海江田万里を突き上げる声があった。声の主は前財務大臣城島光力だ、で始まる内容に目がとまった。続けて「2012年衆議院選で現職閣僚でありながら落選した。当時、赤字国債発行法の成立を人質に衆議院解散を迫る自民党に手を焼いた城島は「俺たちが与党の頃、自民党は良くも悪くも野党に徹していた」と説いた」と続いている。確かにそういう発言をしたが、中華料理店ではない。その前に党本部で開かれた執行部と全国の支部長との意見交換の場での発言である。もちろん約5分位執行部への私なりの叱咤激励の発言の中のほんの一部である。
確かに当時の自民党は完全に野党に徹していた。当時私は国対委員長としてあの消費増税法案の成立に苦労したことはもとより、政調会長代理としても子ども手当をはじめとする重要政策の成立に向けた民・自・公の三党協議での自民党の抵抗に本当に心身共にくたくたになった。今思い出しただけでも疲れを感ずる程である。
それは、2009年総選挙で衆議院で圧勝しても参議院で少数、そして与野党完全なネジレとなった中で法案の成立の為には野党とりわけ自民党に妥協する他なかった。
当時、自民党は一貫してあの赤字国債発行法案(特例公債発行法案)を人質にして徹底した抵抗をし続けたものである。予算案が成立しても肝心な予算の執行には赤字国債発行法案の成立が必須であり、その成立なくして政権運営は如何ともしがたい。その法案を人質にして次々と難題を突き付け、委員会審議を途中で止めることは日常茶飯事であったし、中には通常国会中委員会開催に一度も応じなかった委員会すらあった。こうしたことを通してマニフェストつぶしに総力をあげたのが自民党であった。責任野党などという生易しい対応ではなく一刻も早く民主党政権を倒し政権に復帰するという一点に執念をもって迫ってくるものを感じた。
そんな経験をしてきたものだからこの1年半の民主党の国会対応をみているとあまりにも物分かりの良さに歯がゆさを感ずることが多かった。責任野党ということではなく、与党にとって手ごわい野党、即ち、国民にとっては共感的理解ができる野党であるべきだという主旨の発言をしたものが記事となったのである。
それにしても中標津の緑の美しさには心が癒された。
霧の中、奇跡的にくっきりと見えた摩周ブルーの摩周湖の美しさに見とれた。また、根室海峡の野付半島から見えた国後島をみつめ北方領土返還への思いを強くした訪問でもあった。
案内して頂いた地元の森岡ご夫妻には感謝です。
中標津の緑
摩周湖
国後島を眺める