厳しい結果となった総選挙からほぼ1ヶ月。様々な思いがあるが、今はすべては飲み込むしかない。
年末から年明けにかけ選挙へのお礼と新年の挨拶回りの日々である。
こうした中、親身になって励ましや支援していただく方も多く本当に有難いことである。
まさに「雨天の友」である。自分自身、人生の厳しい時にこそ心からの励ましや温かい言葉をかけられる人間でありたいと改めて思う。
与党の議員としての3年3か月をふり返ってみるとみると本当に充実した日々であったと実感している。
与党の政策調査会長代理、幹事長代理、国会対策委員長という党幹部として働くことができた。
そして昨年10月からは財務大臣を拝命した。かつての大蔵大臣を含め126代である。
就任に当たり「後で悔いのないよう全身全霊をつくそう」と決意した。
10月1日、大臣に就任し初の仕事が何とIMF・世界銀行東京総会を担当大臣として取り仕切るという大仕事であった。東京で開催されるのは48年振り。48年前は東京オリンピックも開催され当時の大蔵大臣は田中角栄さんであった。今回の東京総会には、世界から180ヶ国をこえる国と2万人近い人が参加をし大成功であった。
この期間中に「IMF・世銀総会関連」として
①「防災と開発に関する仙台会合」も開催した。
世界銀行のキム総裁やIMFのラガルド専務理事をはじめ多くの方に被災地視察をしてもらい、その上で仙台宣言を発表した。
②「ミャンマーに関する東京会合」も開催し議長として日本が積極的にミャンマーの民主化と社会、経済の発展に貢献する旨を発表し各国の協力を求めた。この時宣言した内容が年初の麻生財務大臣のミャンマー訪問時に発表された政府方針そのものである。
③更に、「G7、財務大臣・中央銀行総裁会合」も開催した。
この総会で世界銀行のキム総裁やIMFラガルド専務理事をはじめオズボーン(英、財務大臣)、ガイトナー(米、財務大臣)、朴(韓、財務大臣)、ショイブレ(独、財務大臣)さんをはじめ多くの友人ができた。
また政府と日銀が共同で「デフレ脱却にむけた取り組みについて(共通理解)」の文書を発表することができた(10月3日)。政府と日銀が文書の形で確認したことは初めてのことであった。このことが安倍総理がとくに物価目標を日銀との間で何らかの確認をしようとしていることのもととなっていると考えている。
さらにここ数年、国会対応で私自身政調会長代理、そして国会対策委員長として最も苦労した法案の1つが赤字国債発行法案(特例公債法案)であった。
ねじれ国会で自民党はじめ野党の反対にあって本当に苦労したものである。
予算は成立してもその実行を裏付ける財源としての赤字国債発行を認める法案が成立しないという異常な状況に心底悩まされた。一昨年は菅総理の退陣と引き換えに何とかやっと成立したものである。
その法案が今後3年間は予算と同時決着をするという民・自・公3党合意にこぎつけることができた(11月3日)。国会改革の1つとして大きな成果だと思う。
そして衆議院解散後の11月24日、ソウルにおいて朴財務長官と日韓財務対話を行った。
大臣就任中はすべてに全力投球するという私自身の思いを実行したものである。
朴長官とのソウルでの会議、そしてその後の夕食の会合は思い出深いものとなった。
昨年の年末12月27日、麻生新財務大臣と事務引き継ぎを行い財務省の幹部の皆さんに退任の挨拶をした。その後、整列をして見送ってくれる大勢の職員の皆さんの拍手の中、車で財務省を後にした。
日々お世話になった斉藤さんから頂いた花束を見ながら体の芯からスーと緊張感が解けるのを覚えた。
激動の3か月だったが本当に充実した思い出の多い3か月であった。