3月22日から5日間ミャンマーを訪問した。
その理由は前回のブログに書いた様に私が財務大臣当時、48年振りに日本で開催したIMF・世界銀行東京総会の関連として、ミャンマー支援のための「ミャンマーに関する東京会合」を主催したことによる。その会合にはIMF及び世界銀行をはじめ約30ヶ国が参加してくれた。そして、更に今年の1月25日にパリクラブ会合において各国のミャンマー支援策が合意された。ミャンマー政府は「東京会合、そして今回のパリクラブで合意できたことは城島大臣のお陰である。ミャンマーにとって恩人だ」と高く評価してくれた。こうしたこともあり今回訪問することとなった。
首都ネピドー(2006年にヤンゴンから遷都)で3月25日(月)まずはウィン・シェイン財務大臣と再会した。
大臣からは「東京会合で大変お世話になり、またパリクラブでミャンマー支援が合意されたことは城島大臣のご努力のお陰であり、心から感謝したい。このことは私の生涯忘れられない思い出となります」と心温まる言葉があった。
私は「再会できて本当に嬉しく思います。この縁を大切にし、これからもミャンマーの発展に努力していきたい」と応えた。約1時間を超す会談はあっという間であった。
次いでテイン・セイン大統領と会談すべく大統領官邸に車で向かった。
官邸に近づくとそれまで片側4車線から何と8車線の道路になる。しかも車はほとんど見ない。聞いていた通りの美しい宮殿の様な大統領官邸である。
私が「はじめまして」とあいさつするとすぐ「あなたはミャンマーの恩人です」と丁重な感謝とお礼の言葉をかけられた。
海外訪問から帰国したばかりの大統領であるが何と1時間15分という長い時間一つ一つメモをとりながらの会談となった。
その後、エネルギー担当大臣、鉄道大臣、交通大臣らともお会いした。すべて充実した会談であった。
5日間の滞在中ミャンマー商工会議所の幹部との会合をはじめ、ミンガラドン工業団地やティラワ開発地区などの視察も行った。ミンガラドン工業団地では日系企業の縫製工場を見学した。
従業員約900名、平均年齢25歳、勤務時間午前7時~午後5時30分、休憩時間午前、午後各10分・昼休み30分の計50分。平均賃金約100ドル(月給)だという。思わず「ウーン!」とうなってしまった。
また、宿泊したヤンゴンのホテルで何と「公文」の説明会と思われる催しが行われていた。母親と子供づれが多数参加していた様である。
ミャンマーはこれから新しい国造りの時を迎えているのだと思う。
大部分は今の日本から時計の針を30~50年前に戻したかの様な光景であるが、一方、スーパーマーケットに入ると、まさしく現在の日本のスーパーそのものでもある。(何とペットフードの売り場もある!)
充実した初めてミャンマー訪問であった。
日本大使館をはじめ多くの方々に大変お世話になった。心からお礼を申し上げます。
テイン・セイン大統領と大統領官邸にて ウィン・シェイン財務大臣と再会
アウンサンスーチー邸前にて