この週末、南相馬市にでかけた。震災から四度目である。最初は震災直後、原発20キロ圏内の立入禁止区域を桜井市長の案内で視察した(詳細は2011年5月5日、5月22日のブログに記載しています)。実はその時にお会いした前田さんの事がずーと気になっていた。その時、前田さんは全てを失って茫然自失の状態にあった。何を尋ねても俯いたまま殆ど聞き取れない声でぼそぼそつぶやくだけ!前田さんは長年苦労して自力で優れた種豚を作り上げ、その豚肉は評判のブランドにまで育て上げた苦労人である。そして息子さんと共に新たな将来構想を描き事業の新展開を始めたばかりであった。そこに原発事故。全てを失った!しかし、「豚の汗は自分の汗」との思いの豚を何とか救いたい!ただその一心でかろうじて生きているといった状況の前田さん。「何とか生き残っている種豚を救い出そう、その事が前田さんを支える事にもなる」前田さんを前にして瞬間的にそう思い決意した。同時にこの20キロ圏内に取り残された動物たちを救うことも改めて強く決意した。いざ20キロ圏内から外へ救出しようとしたら数々の障害や課題にぶつかった。最大の課題は、風評被害を恐れる受入先の反発であり、そのことを盾に容易に判断を下さない農水省であった。やっと茨城県にある東京大学農学部付属牧場が受け入れてくれた。約2ヶ月近く私はこれらとまさにしく戦いの日々を送った。今から2年8ヶ月前の事である。
最近、前田さんがお元気になられていると桜井市長から聞いた。「是非お会いしたい」と思った。そしてこの21日(土)、南相馬市役所前で桜井市長とあの前田さんが氷雨の中、笑顔で出迎えてくれた。「お元気な前田さんに会えて本当に嬉しいです」と言ってガッチリ握手をした。あの憔悴しきった前田さんとは全くの別人である。「あの時種豚を助け出していただいて本当にありがたかったです。いま新しく那須にも養豚場を確保できました」。前田さんの案内で懐かしい前田ファームへ向かった。過っての立入禁止区域も今は日帰りであれば立ち入りができる。豚舎を見て回った。あの悲惨な光景と同じ豚舎とは思えない。元気な鳴き声が響く!「獣医を目指すと言ってたお孫さんはどうですか?」「お蔭様でその希望は変わっていません」と嬉しそうに笑った前田さん。
その後、各地域を見て回った。復興の道のりの厳しさをつくづく実感した。いつ来ても、人が暮らせない家々の光景は心が痛む。
その夜、桜井市長の市政報告会に出席した。会場一杯の参加者であった。桜井市長の熱い思いのこもった胸を打つ挨拶であった。聞きながら、桜井市長とよく携帯電話でやり取りした頃を懐かしく思い出していた。その電話の時間はいつも夜遅い11~12時だった。
翌早朝6時30分の福島駅行きのバスに乗った。途中で雪になった。あの飯館村も一面の雪であった。
再会した前田さんと(養豚場にて)
桜井市長と(市政報告会場にて)