先週は倉敷市、週末には鳥取県倉吉市へと出かけた。
幸い天気に恵まれとりわけ倉吉では清流の川で夜、蛍が飛ぶ光景を見ることができた。何十年振りかである。
作曲家船村徹先生主催の歌供養の会が誕生日の6月12日に今年も盛大に開催された。今年で30回目である。
船村徹さんは歌謡曲作曲家の大御所であり、手がけた曲は5000曲以上にのぼる。船村先生は「歌謡曲でヒットするのはごくわずかしかない。ほとんどの曲はヒットせずあっという間に消えていってしまう。そうした曲があってヒット曲も生れる。だから消えていった歌を供養することが大事な事だ」という。
その供養の会が終ると引き続き誕生パーティーを兼ねた懇親会である。今年も招かれて出席した。船村先生とのご縁については私のブログ(2013年5月26日「出会いの一週間」と6月2日「船村先生より門下生名城一徹をいただく」)をお読み頂ければ有難い。
今年は30回目という記念すべき年であり、いつもの鳥羽一郎さんらの門下生に加え五木ひろしさんが歌った。五木さんと船村先生との出会いは昭和45年(1970年)日本テレビの全日本歌謡選手権に五木さんが三谷謙という芸名で出場したことがきっかけだという。このTV番組で10週勝ち抜いて芸名を五木ひろしにかえ再デビューしたことが今日の五木ひろしを誕生させた原点である。10週勝ち抜くまでの間の丁度中間の5週目に勝負をかけてあえて難しい曲を選び歌った曲が船村さん作曲の「男の友情」という曲だという。その時の審査委員長が船村徹さんだった。今回船村さんが明かした裏話が面白い。実は審査委員の一人だった淡谷のり子さんが厳しい評価であったが自分が審査委員長だったので淡谷さんに委員長の私に任せてくれと言って勝ち抜かせたという。
五木さんはその思い出の「男の友情」を船村さんのギター演奏をバックに歌った。私は初めて聞く曲であるがまさに熱唱であった。歌い終わった時、船村先生は目がしらをハンカチでおさえていた。万感胸に迫るものがあったのだろう。会場あふれる拍手であった。
同じテーブル席に今年もジャーナリストの田勢康弘さんがいらしてた。私は田勢さんのTV番組「週刊ニュース新書」に出演したことがある(2012年5月12日)。田勢さんの分析はいつも鋭く的確である。食事をしながら田勢さんが「城島さん、今の政治状況からすると秋に解散総選挙になってもおかしくないですよ!」と言われた。その理由を聞きながら「なるほど!大いにありうるな!」と気が引き締まる思いがした。
船村先生と谷垣法務大臣と
パーティー会場