「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」の句がぴったりの季節となった。
そして祭りの季節の始まりでもある。
浅草の三社祭、そして川崎市小田の日枝大神社の祭りである。
私が川崎で本格的に政治活動をし始めたときが日枝大神社の祭りの季節であった。
夕方から小雨になったものの木々の緑が目にしみる、まさにさわやかな五月晴れであった。
このところ再度大変考えさせられているのが派遣労働の問題であり、非正規雇用者の問題である。
そして大変関心をもっているのが雨宮処凛の発言である。
彼女はプレカリアート(イタリア語の”不安定な”を意味する「プレカリオ」と「プロレタリアート」の合成語で非正規雇用者および失業者の総称)のジャンヌダルク的存在なのだという、1975年生まれの女性である。
彼女の「国際競争の最底辺」として外国人労働者と競わされた体験や派遣労働やフリーター、そして外国人労働者の実態を踏まえた発言はぐさりと胸をつく。
「プレカリアートの運動は労働運動ですらなくて生存運動である」
「私は戦争前のイラクにいっているんですが、私の知人はイラク戦争が始まる前からイラクに行きました。
彼はイラクに何ヶ月か滞在して何人ものイラク人が死ぬのを見て、戦争はおかしいと思って日本に帰ってきた。
そしたら日本では彼の友達が何人か自殺していたんですね。
彼はその時に「日本とイラクとどっちが戦場なんだろう」と言っていました。
イラクでは多くのイラク人が米軍に殺されている。
かたや日本は「平和」といわれているのに若者が自らを殺してしまう。
イラク戦争が始まってから2年間のイラクの民間人の死者と同時期の2年間の日本の自殺者を比べると日本の自殺者のほうが多いんです。
これはやはり異常な事態だと思います。
これだけ人が死んでいるけれども、ここが戦争だとは理解されないし誰にも思えない」
こういわれると「ウ~ン」とうなってしまう。
彼女は私には今までそれこそ見えなかった、気づかなかった様々なことを問題提起してくれて刺激的である。
彼女の目線に立ってその主張を今一度じっくりと掘り起こして考えてみたい。