昨今、凶悪な事件が報道されない日はない。
それも中学生をはじめ、若者の殺人事件が連続している。
「誰も自分に関心をもってくれないから」
「親が相談にのってくれないから」
そして・・・
「だから相手は誰でもよかった」
「親を困らせたかった」
などという動機が不思議に一致している。
報道されるのは殺人事件やバスジャックのように大きな事件だけだから、報道されない同様の事件はきっと全国で頻発しているのではないかと思う。
何とも殺伐とした世の中になったものである。
しかし翻ってみて、あの小泉政権も政治の中で全く同じようなことをしていたのではないかと思う。
そのことがこうした社会の流れに拍車をかけたのだと思う。
即ち、当時の小泉首相は「私に反対する人はすべて抵抗勢力だ!」と決めつける発言をくり返した。
そしてあの郵政解散では「小泉流の郵政民営化」に反対した自民党議員は、そのことだけの理由で公認せず刺客と称して自分の意のままに従う新人を公認した。
そこには自分の意見に従わなければ政治生命を奪うという、すさまじいまでの強者の論理、弱い者いじめの構図がくっきりと浮かんでくる。
そのいじめの実態を生々しくTVは連日報道し、日本中が異様な雰囲気と熱気に包まれたものである。
さらにライブドアの堀江元社長を事実上公認し、自民党の看板の一人としたである。
その彼は「金さえあれば何でも手に入る。金がすべてだ」と明言していた人物である。
あれからまもなく丸3年である。
「郵政民営化さえすれば経済は活性化し税収が増え、財政は改善し増税する必要がなくなり、明るい豊かな国になる」という約束は一体どうなったのか。
全く正反対の日本の現状ではないか。
国民負担は増える一方で、しかも弱者をいたわる心をなくし、自分さえよければという殺伐とした社会になってきている。
こうした政治の在り方が国民とりわけ若者に対して、自分の意見に従わなければ許さないという強者の論理、弱者いじめが正当化されるかのようなメッセージを与えたのだと思う。
あの福沢諭吉は
自由の気風は「必ず反対する意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」「一つの物の考え方だけが流通しているような場合には自由な気風がない」と喝破した。
そしてまた「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という名言も残した。
今や日本の社会は本来の自由の気風を失い「人の上にカネをつくり、カネの下に人をつくり」というマネー第1の社会に陥ってしまったこともまた、昨今の凶悪事件が連続して起こる背景にあるのではないかと思う。