北京オリンピックが始まった。
開会式のTVの視聴率は何と98%だったという。
ほとんどの国民が開会式のTV中継に釘づけになっていたということである。
私も事務所のスタッフと遅い夕食を近くの中華料理のお店で食べながら店内のTVでその一部を見ていた。
最初からすべてを見たわけではないが、その演出の内容には素直にいって驚いた。
よくもこんなことを考え、そして実行できるものだと思った。と同時にこれほど人とお金をかけ、しかも長時間続く演出が本当に必要なのか・・・と疑問も感じた。
開会式にこんな派手に手のこんだ演出が何故必要なのか。
もっとシンプルにできないものなのか。入場行進する選手達も長時間待機していて大変じゃないのか・・・など少々複雑な気持ちでTV中継を見ていた。
私の記憶にある最初のオリンピックはメルボルンオリンピックである。
昭和31年だったと思う。わが家にはまだテレビがなく、ラジオ放送で聞いた。
それも記憶にあるのは競泳の1500mだったと思う。日本の山中毅とオーストラリアのコンラッズとかいう2人の競り合いが最後まで続いた。そのラジオ放送から流れてくる実況中継は日本人のアナウンサーではなく何故か現地のオーストラリア人のアナウンサーで英語の分からない小学生の私にはただ、何か2人が競り合っている雰囲気が伝わってくるのみである。
”ヤマナカ、ヤマナカ”という発音だけがわかるのである。しかし、そのラジオにかじりついたものである。たしか山中選手は二位に終わったと記憶している。
やがて昭和39年の東京オリンピック。
快晴の秋空の下での開会式は今から思えば整然とそして本当にシンプルな感動を与えた開会式だったと思う。
ふり返ってみるといつの間にかオリンピックが商業化し開会式も派手になりショー的な感じになってきている。
開催地の招致合戦にも多額の金が使われる。
東京が立候補している。もし開催することになれば是非とも素朴な、心に残る開会式を企画してもらいたいものだ。