新しい年が明けた。
通常国会もこの18日からの開催が決まった。
いよいよ鳩山政権の真価が問われる年である。決意新たに頑張っていきたい。
年明け早々に藤井財務大臣が辞任をされた。例によってマスコミは辞任の背景には「小沢氏との確執がある」とか産経新聞などは自由党時代の政治資金を巡る問題が辞任の裏にあるという辞任表明直後に永田町に流されたいわゆる怪文書の内容を記事にするという相変わらず永田町的視点での解説ばかりである。すなわち何かと言うとすべて小沢幹事長の名前を出すことでとりつくろう記事のオンパレードばかりである。
実は、私はたまたま年末の31日大みそかの午後、事務処理の為に議員会館によった。国会周辺は車もまばら、人影は全くなし、静かなものである。議員会館に着いて玄関を入ろうとした時、スーと一台の乗用車が止まった。かなり古い中型の車である。てっきり誰かの秘書が所用できたのかと思った。ところが、その車から降りてきたのは何と藤井大臣である。私はその時までまだ大臣が入院されていたことを知らなかった。そこで「大臣、お疲れ様です。」と声をかけた。返事がない!いつもなら「やぁやぁ城島君、元気かね、ご苦労様」と明るく声をかけてくれるのが藤井大臣なのだ。おやっ!どうしたんだろう?と思った。そして、エレベーターに乗り込む大臣に再び「お疲れ様です。お身体を大切にして下さい。よいお年を」と声をかけた。ところが、これ又無言、無表情でただ軽くうなづくだけである。ドアがしまった。私は自分の部屋が2階なので階段を歩いてのぼりながらこれはただごとではない。完全に体調を崩されている、疲労が限界をはるかに越えていると感じた。これでは通常国会の審議には耐えられないのではと心配になった。そして、おそらく近々辞任されるのではないかと直感的に感じた。
そして年明け、健康上の理由で辞任を表明された。やっぱりと思った。あの大みそかの大臣の姿に接した私はこのタイミングでの辞任以外なかったと思う。無理をして国会審議中に辞任ということになればそれこそ大問題となるという判断をされたに違いない。12月31日午後私が見た藤井大臣の姿は大幅税収減の中で3ヶ月におよんだ政治主導の予算編成がいかに過酷であったかをしめしていた。藤井大臣のご健康の一日も早い回復をお祈りいたします。