九州北部が豪雨で甚大な被害がでた。
被害にあわれた皆様には心からお見舞いを申し上げます。
気象庁は「過去経験したことのない豪雨」と表現し「平成24年7月九州北部豪雨」と命名した。私の古里、柳川も一時全世帯避難指示がでた。柳川の友人・知人にお見舞いを兼ねて電話で様子を尋ねた。特に昨夜のNHKニュースのトップでも報道された矢部川の堤防崩壊の知らせには驚いた。午後2時頃、ニュース速報でこのことを知り、事態の深刻さを感じた。午前中までは「大丈夫です」と言っていた友人も、午後再度電話すると「床下まで水がきている、2階へ避難している」と言う。状況は一気に悪化していることを肌で感じた。夜になると雨も上がり落ち着いてきたという電話に胸をなでおろした。
その矢部川には小学生の頃の夏休み自転車で泳ぎに行ったことがある。川の水は少し冷たいものの、澄みきった美しい川で思い切り泳いだものである。
また、水害となるとすぐ昭和28年の西日本大水害を思い出す。小学1年生だったが集中豪雨で筑後川が氾濫し又堤防が崩壊し筑後平野一帯が大洪水に見舞われた。その時のことを思い出した。
くる日もくる日も雨だったように思う。毎日家の中にいて窓から外の景色をぼんやりながめていた記憶がよみがえる。
同時に以前もこのブログに書いたがこの大水害の被害を受けて筑後川上流の大分と熊本の県境にダムの建設が計画された。下筌ダムである。しかし、このダム建設をめぐって13年の長期間反対運動が起こった。室原知幸さんが中心となった「蜂の巣城紛争」である。昭和33年から46年までの13年間にわたったこの紛争は私の記憶にはっきりと残っている。特に室原さんの、公共事業は「法に叶い、理に叶い、情に叶わなければならない」という言葉は長いこと私の心に刻んでいる言葉である。
まさに、政治の根本もこうあるべきだと思う。
どんなに優れた良い政策でも国民の情にかなうものでなければならないと常に思っている。国論を二分する様な難しい政治テーマ多い中であるからこそ、その政策が耳障りの良くない政策であればある程、国民の情にかなうように最大限努力することは必須のことだと今あらためて思う。