爽やかな秋晴れ。敬老会も終わり運動会シーズンになった。今日は、幸区老人会主催の運動会に顔を出した。開会式では、「同期の桜」の節回しでこの老人会の歌を全員で四番まで歌って盛り上がっていた。本当に皆さんお元気だ。
二十日、政府と労働界、経済界の代表が賃上げなど雇用をめぐる問題を話し合う政労使会議の初会合が開かれた。デフレ脱却にむけ企業の賃上げが不可欠として、安倍政権が働きかけて開かれた。しかしここで一番大事な原則は賃金水準はあくまで労使間の話し合いで決める事ということである。賃上げという働く者にとって大変重要な案件であるが、社会主義国ではないので政府が過度に介入するのは禁じ手である。政労使による合意形成は過去我が国でも行われた事がある。そのテーマは雇用全般についてである。例えば雇用拡大のためのワークシェアリングについての協議である。
そもそも政労使合意として有名なものは、1938年スエーデンのサルチオバーデン合意と1982年オランダのワッセナール協定である。何れも国、社会全体に関わることに関し、政労使の三者があくまでも対等な立場で話し合い、そのうえでそれぞれが責任を持つことを合意したものである。
そのワッセナール協定は1973年、1979年のオイルショックによる長引くインフレを止めるため労組は賃上げを抑制し、経営は悪化する一方の雇用を改善するためワークシェアリングを充実させ、政府は財政再建をはかりオランダ国家の危機を乗り越えたと言われている。同様のオイルショックの影響下に置かれた我が国は、この危機を労組主導で一気に乗り越えた実績がある。以前も書いたが、73年のオイルショックによる狂乱物価と言われた異常な物価上昇にみまわれ、そのインフレを反映し74年の賃上げ率は全産業平均で何と33%という春闘となった。私も会社に入社して間もないころで大幅な賃上げに本当にビックリし、この調子で賃金が上がっていったらすごいなぁと思ったものである。そしてむかえた75年春闘。当時、労働界で賃上げに最も影響力を持つ鉄鋼労連(現 基幹労連)の宮田委員長が「インフレを抑える事が働くものにとっても国にとっても重要な時であり、賃上げは経済との整合性を第一に考えよう」と賃上げ抑制を呼びかけた。当初、労働界は猛反発であった。しかし宮田委員長は自説を曲げなかった。そして結局75年春闘は前年を大きく下回る13%となり、一気にインフレは収束し世界で最もはやくオイルショックから抜け出し世界の注目を浴びた。国難に立ち上がった労組リーダー宮田義二委員長の国家、国民を思う揺るぎない信念がオランダの政労使三者と同じ役割を果たしたと言えよう。
今賃上げが重要な日本!75年と全く逆である。政労使会議が必要なのではない!75年の宮田委員長に代わる経営者である。安倍政権の呼びかけに「冗談じゃない!政府に言われずとも国家、国民のためにしっかりとやる!」と一喝する財界のリーダーがいない。逆に、法人税減税、使い勝手の良い解雇自由の雇用政策をなど国家的観点よりあくまで自己利益の主張に終始している財界の現状をみるにつけても嘆かわしい。