猛暑が続いた夏もいつに間にかすっかり秋の訪れを感じる。街路樹の銀杏も夏の青々とした感じからほんの僅かだが心なしか色ずき始めたように見える。
14日午後、東大農学部の一条ホールで開かれたシンポジウム「福島原発警戒区域内に残された牛と農家」に出席した。あの東日本大震災発生後、福島第一原発から20キロ圏内は立ち入りが厳しく制限され、人間はもとより飼育されていたペットや家畜への餌や水の補給もままならない中、動物たちもまた過酷な状況に置かれてきた。
このシンポジウムは中でもとりわけ厳しい状況の牛とその生産農家に焦点をあてたものである。警戒区域内の動物は多くが餓死という悲惨な運命をたどる中、被ばくのリスクを覚悟しながら立ち入り制限区域内へ入った飼い主による継続飼育により生き残った家畜や放任化した家畜の一部は、今も20キロ圏内に取り残されている。この内、和牛生産に携わっていた農家の方々の中には、飼育していた家畜への愛情、愛着などから、国の安楽死処分に同意できず、大変な苦労をしながら家畜の飼育を今も継続している方々がいる。その方たちを支援しまた事故に関わった家畜を活用した研究を推進し、有用な科学データの集積を行うことにより今後の放射能災害の被害の予防に役立てる事を目的とした社団法人が主催したものである。パネラーは東北大学や岩手大学、北里大学など各大学の教授に加え浪江町などで継続して飼育している農家の方々も含まれていた。その農家の方々の「家畜は私たち人間の命の源である。その家畜の生きるみちを何としても作って欲しい」「殺処分は私が殺される事と同じ」「将来展望が全く見えない」「政治家は現場の実態が全くわかっていない」などの叫びにもにた意見を聞いていて本当に心が痛んだ。三連休の初日にもかかわらず会場は参加者で一杯であった。司会をつとめたわたしの友人の林良博国立科学博物館館長の挨拶の後、山根前日本獣医師会会長に続き「福島第一原発被災地域の現状と今後」と題して最初の基調講演を南相馬の桜井市長が行った。その講演の中でわざわざ私の事にも触れてくれた。
私は震災約2カ月後の5月4日に桜井市長の案内で20キロの警戒区域内に入り動物たちの悲惨な実態を目の当たりにした。その光景は衝撃だった。これは何とかしなければ!いや必ず何とか救おう!と瞬間的に決意した。帰京した翌日から農家の救済と動物の救出に向けた懸命の活動を開始した。しかし政府とりわけ役所は何としても動かない。私のいかなる提案にも「先生、お言葉ですが・・・・」と言うだけ。ついに私は机をたたきながら役人を怒鳴った。「そんな言い訳ばかりしているこの瞬間も動物たちの命がなくなっているんだ!」農水省大臣室に私の大きな声が響きわたった。今まで人を怒鳴ったことのない私だったから役人も本当に驚いた。翌日から一気に事態は動きだした。まず救出第一弾!忘れもしない20キロ圏内で餓死寸前の前田ファームの種豚の救出に成功した。それは前田さんが苦労に苦労して一代で作り上げた種豚たちなのである。桜井市長の案内で行った前田ファームで絶望的な様子の前田さんにお会いし餓死寸前の種豚を見た瞬間、前田さんとこの種豚を救わねばと思った。桜井市長はこの間の事情をよく知っていて基調講演の発言の中で「城島さんには本当に助けて頂いた。城島さんのように現場のことを理解して親身になって動いてくれる政治家は本当に少ない」とも発言された。そして「よく夜遅く電話をかけてきて状況報告をしてくれた人です」といって私をみてニッコリ笑った。確かにその当時夜の11時、12時でも市長と電話でよく相談をしたものだった。純で素朴な情熱家市長である。人の心の痛みのわかる人間、それが桜井市長である。