「あぁ・・・とうとう強行採決!」12月6日深夜、特定秘密保護法案は参議院で可決し成立した。
この法案の問題をあげればきりがない。きわめつけは審議の終盤になって、野党の質問や世論の批判に応じる形で、「情報保全監察室」「保全監視委員会」などを設立するとの答弁。しかも、その具体案は何もない。名称まで仮称だという。何ともお粗末な話しだ。いや、お粗末というより国民をなめ切っているとしか思えない。本当に必要だと思うなら具体的に法案の中にしっかり書き込むべきである。
この間の安倍政権の国会対応をみていると、国の主権者は国民であるという意識が全くないように思える。ないどころか主権者は「政権を担う自分」であるという意識を感じる。国民をコントロールする政権、即ち支配者意識そのものである。そこには国民との共感的理解に汗を流そうとする姿勢が全く感じられない。
1969年東大闘争の時のことを思い出す。ある日「東大入試阻止」を掲げた学生運動家数名がビラを配りマイクを握り演説をしていた。通りかかった私にその一人が声をかけた。「まぁ話だけでも聞いてみるか」と思い立ち止まった。私と同学年の彼は熱く語った。「・・・だから、大学入試は絶対阻止しなければならない」と。一通り聞いた私は「じゃ君は東大を自ら退学したのか!」「そこまでいうなら君は当然東大生という身分を捨てているだろうな」と聞いた。彼は口ごもった。「自分の身は安全、安泰の東大生のままでこれから大学へと思っている高校生に対しては大学入試の門を閉じるのは卑怯じゃないか!」と怒鳴った。
今の政治姿勢に似たことを感じている。「自分は温かな安全な豊かな環境の中に身をおいたままで、国民には理屈や理論で負担をおしつける」「国会議員定数削減もやらずして消費増税は来年4月実施」。国民と共に歩む、国民の痛みを共有するという姿勢が感じられない。そう思いながら安倍政権の閣僚をみてみると多くの重要閣僚が世襲議員である。どうもこのことと無関係とは思えない気がする。国民の暮らしとはかけはなれた育ち、暮らしまた彼らをとりまく人達そのいずれも国民・庶民からは〝異次元〟の暮らしの人達のようである。
また、もう一つ気になったのは、安倍首相が過日読売新聞社新社屋竣工パーティーの挨拶で「・・・この読売新聞の渡辺恒雄主筆の部屋はどこですかと聞いたら、それは秘密ですと言われた。読売新聞社にとっては渡辺さんの部屋は特定秘密のようです(笑)。」この報道をみて背筋が寒くなった。これはジョークや笑いごとですまされる話しではない。総理大臣自身がこうした軽口をあいさつで言うということが社会に秘密主義の風潮をつくる恐れを感じる。
そんな中、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が亡くなった。TV等でみるマンデラさんの顔に私はいつも心が癒されてきた。あの微笑みはいつも慈愛にあふれていた。怒り、苦しみ、悲しみなど全てを乗り越え、耐えてきた人の顔である。寛容さと理想を持ち続けた人の顔である。マンデラさんという世界の宝をなくした。