特定秘密保護法案の審議はとてもじゃないがまともではない。とりわけ森担当大臣の答弁のブレはひどい。見解が二転三転するのは参議院の審議でも続いている。また国民の意見を聞く福島での「地方公聴会」ではほぼ全員が法案に反対か慎重論だったにも関わらず、その翌日、衆議院で採決。公聴会はなんだったんだ!少なくとも公聴会での意見も踏まえた審議ぐらい行うべきだろう。政府与党が決めた国会日程最優先である。まさに国民不在である。この法案は消費税のように暮らしに直結するものではないこと、また法案そのものも理解することが難しいこともあり当初は国民の関心が薄かったと思う。ここに来て多くの人達が関心をもち始めた段階である。国民と国会との歩調、平仄が合っていない。この法案は社会のありかたに関わる重要な法案であるが故に何としても国会は国民と歩調にあわせるべきである。そうでないと今後に禍根を残しかねないと危惧の念を持っている。
そんな折、ぶらりと書店に入った。先日稲盛財団の京都賞の晩餐会で隣あわせだった元大蔵省財務官の行天豊雄氏の「円の興亡」と中島岳志の「血盟団事件」が何となく気になり買った。二冊とも興味深く一気に読んだ。とりわけ「血盟団事件」は命がけのテロにかけたのは何だったのか!私にとってまさに目から鱗であった。あの時代、大正末期から昭和初期の激動期、それこそ大先輩大蔵大臣、濱口雄幸、井上準之助、高橋是清のいずれもなぜ凶弾に倒れたり、暗殺されたのか私なりに勉強したつもりであった。しかしこの「血盟団事件」は権力側でなく塗炭の苦しみに喘ぐ庶民の側からの時代証言でもある。そして何よりも現代社会の抱える根深い課題、たとえば格差社会や政治不信など、1920年代以降の日本と何ら変わらないことに驚かされた。公平、公正な社会造りがいかに難しいか実感させられる。時代を越えた課題であるが故に本物の政治家の課題と責任であると改めて感じた。