スウェーデンのストックホルムで開催された日朝政府間協議で2008年に合意していた拉致の再調査について改めて合意した。
予想していた通りである。
「私の四回にわたる日朝協議」という私のブログ(3月10日)で明らかにしたが2010年から2012年にかけて極秘で協議した時の感触からして拉致の再調査の合意は近いと確信していた。私の四回にわたる協議の1回目では北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」の一点張りであり、また「再調査」についてもそもそもそういう合意自体がないかのような主張であったことも3月10日のブログで書いたところである。
そこで私は当時の鳩山総理に協議の内容について報告した中で2008年の日朝協議の議事録を確認させて欲しいと言った。そしてその再調査に関する部分について議事録で確かに〝再調査〟という表現であったことを私自身で確認した。その上で2回目の協議の冒頭で私は「議事録で再調査という表現を確認してきた」と述べた。
北朝鮮側は「そうですか」と言って少々驚いた様子であったが、同時に私がいかに真剣にこの拉致問題に対処しようとしているかを理解したようであった。
私が「具体的な内容は正式な政府間協議でやるべきことであるが、拉致の再調査の約束は日朝交渉再開の最低限の条件である」と強く主張した。
それに対し北朝鮮側は「拉致問題は解決済みである。一方で自らの意志で我国(北朝鮮)に入国してきた日本人がいるかもしれない。その人が日本へ帰国したいと言えば帰国させることはありうる」という主旨で再調査の話しに応じてきたのである。これは正しく特定失踪者のことであろうと思った。
私からは「拉致被害者は当然として、そうした人(特定失踪者)やいわゆる日本人妻(今回の合意文書には日本人配偶者)も再調査の対象とすべきである」と言った。
こうしたやりとりからして私は必ずいずれかのタイミングで再調査については北朝鮮は決断してくると判断した。
早いもので私が第一回の協議(2010年4月)をしてから丸4年が経過した。びっしりと記録した当時のノートを改めて読み直した。4回の協議が今も鮮明によみがえってくる。緊張感の中で激しいやりとりであった第1回目、帰国の準備をしながらホテルの窓から外に目をやると新緑が美しく目にしみる庭が印象的だった第2回目、真夏の暑さの中、具体的な話しが進展した第3回目、2回目の協議で私から申し入れた墓参について「協力すると約束したのに未だ日本から正式な申し入れがない。本当に実現したければ早く日本政府から申し入れるように」という北朝鮮側からの催促もあった第4回目の交渉は第1回目の協議から丸2年経った春であった。
今回の合意には素直に言っていくつかの不安な点がある。しかし今は、合意の内容に沿って1日も早い拉致問題の解決を願うばかりである。