このところの広島市の土砂災害の報道には本当に心が痛む。
どうもここ数年日本は異常気象が続いているように思う。ということは異常気象ではなくこれが常態化した気象なのかもしれないとも思う。
8月のお盆に福岡県の柳川に墓参りに帰省した。
子供の頃、お盆が過ぎるとツクツクボウシが鳴きはじめ、夏休みが終りに近づいたことを感じ少し淋しい気分になったものである。そんな思い出と共に夏は私にとっては忘れられない体験の思い出の季節である。
小学校4年生10才の夏休み。8月に入ったばかりの昼下がり、セミを取ろうと庭の柿の木に登った。当時、庭には樫の木、柿の木、ビワの木、ザボンの木をはじめ松、桜、百日紅、ツツジなどなどうっそうと木が茂っていた。その庭でセミをとって登った木から飛び降りた。その瞬間足の裏に怪我をした。けっこう出血をした。当時長期出張で不在の父に代わって母が家にあったオキシフルとヨードチンキで消毒をし包帯をしてくれた。しかし、その傷は一向に良くならない。それ以上に私の体調も思わしくない日々が続き、怪我から10日目位になると私の口が開かなくなり食事ができなくなった。さすがに母も不安になり出張先の父に電話を入れた。父はすぐに「これは大変だ」と、出張先から親戚の外科医に電話をし私の診察を頼んだ。早朝、その外科医が自宅で横になっている私を診察した途端「すぐ入院です」「間違いなく破傷風です」と告げた。致死率は50%を超すと言われている破傷風である。入院の為にすぐにタクシーを呼んだ。父が不在だった為にタクシーに乗せようと私を抱えて乗せた運転手は私を「まるで〝まるたんぼう〟をかついでいるようだ」と言ったという。破傷風菌の毒素でもう全身の筋肉がマヒ、硬直していたのだ。
入院したのは8月21日。何故か良く覚えている。既に40℃を超す高熱と体の筋肉のマヒや硬直がおきていた。
破傷風はちょっとした刺激でも全身の痙攣がおこる。音はもとより光も刺激になるというので真夏の暑い季節なのに病室には暗幕がはられた。クーラーなどというものはない時代なので病室には氷柱を用意した。それでも何かの刺激で痙攣がおきると母がハンカチなどを口に突っ込んで舌をかむのを防いでくれた。しかし、退院して舌を鏡でみたら何度も噛み切った傷あとが生々しく残っていた。
入院して治療としてはとにかく菌の毒素を中和するために血清を注射する。それも脊髄注射である。既に私の体はえびの様に弓状に反り返った状態だった。その体を2-3人の看護師さんが注射するためうつぶせにさせるのだが体を動かすこと自体猛烈な痛みがある。まさに激痛である。そして脊髄に血清を注射するのだがこれが又痛い!また、リンゲル液の投与が何と両太ももの筋肉注射である。これもとにかく痛い!しかも長時間である。こうして痛みと戦いながら生死をさまよう危篤状態が一週間続いた。高熱と痛みの連続の日々であった。奇跡的に一命をとりとめた。
8月、お盆の墓参りに帰省し庭を眺めるたびに当時の事を思い出し、命を与えられた有難さを実感する季節でもある。