昨日ある会社の社長にお目にかかった。
お会いするのは初めてであるが話が弾んだ。
そのうち政治の話になり、社長の大学の先輩である衆議院議長の河野先生とそのお父様の河野一郎先生の話になった。
「河野一郎先生は本当に迫力ある政治家だったな」とおっしゃった。
その河野一郎先生について私には懐かしい父との思い出話がある。
私の父と河野一郎先生は大変に親しかった。
とくに河野先生が農林大臣時代は農業政策を提言する為に九州からよく上京していた。
ある日上京していた父が帰宅した。
父の土産話を聞くのが楽しみだった私に父はいきなりこういった・・・
「いやぁ・・・国と国との交渉の外交は命懸けだな。
河野大臣(当時農林大臣)にお会いしたが、ソ連のフルシチョフ(当時ソ連首相)との一対一の漁業交渉は大変厳しかったそうだ。
相手のフルシチョフは交渉時にナイフをもってきて、そのナイフで机をたたきなが譲歩を迫ってきたそうだ。
河野先生も負けずに気迫で一歩も引かなかったとおっしゃっていたぞ」といった父の話しを聞きながら小学生の私は「ソ連との交渉は本当に命懸けなんだな」と思った。50年以上も前のことである。
3年前私が衆議院議員時代、河野議長と会食をした席で、記憶違いかもしれないと思いながらも河野先生にその話をしてみた。
じっと聞いていた河野議長は・・・
「城島さん、そんな昔の話しをよく覚えていてくれましたね。
うれしいです。その話しは本当ですよ。私も父によく聞かされました。
ただフルシチョフの持っていたナイフは彼愛用のペーパーナイフです。
交渉の時、それで机をたたきながら父に譲歩を迫ってきたそうです。
父は父でその日の交渉が終わった時にフルシチョフに記念だからといってそのペーパーナイフを譲ってもらい、これは戦利品だと喜んでいました。
今でも自宅に大切にしまっていますよ」
ということであった。
そして翌日さっそく河野先生はそのペーパーナイフを持ってきてくださった。
私には遠い遠い過去の父の話しが現実のものとなり、その重厚感あふれた歴史的なペーパーナイフを手にしながら約50年以上も昔の父の話しをあらためて思いおこした。
夢の様であった。
私のこの話しを感じ入った様に聞いていた社長は一言
「そういう信念と胆力ある政治家が本当は今ほど必要な時はないんだけどね・・・」
全く同感である。
心しなければと思った。