11月3日、父の23回忌の法要の為に柳川に帰った。
早いものである。父が亡くなった日も美しい静かな秋の日であった。
父は農林省(現農水省)の技官としてまた退官後も一貫して我国の農業の発展、とりわけ畜産の振興に生涯をかけた人生であった。農業にひたすら勤しむ人を誰よりも愛し又尊敬し、子どもの私に「お百姓さんの手を見て美しいと思える人間になれ」と言い続けた。父は昭和35年、「農林省の後輩に告ぐ」と題して「このままの農政を続けるといずれコメは余り、農家が苦しむことになる。農業政策を抜本的に見直すべき」という主旨の論文を発表した。当時はコメが余ることになるなんて誰も想像だにしなかった時代である。多くの識者からも反論が続いた。しかし、父の見通しがいかに正しかったか証明するにはそんなに時間はかからなかった。やがて、日本のコメが余り減反政策という愚策がとられることとなるのである。
私も子どもの頃からそんな父の私への教育という思いもあったと思うが、夏の暑い日、水田の草取りや秋の稲刈りなど農作業を手伝った。また、犬・猫はもとよりニワトリ、山羊、ウサギなど繁殖も含めすべて自分で飼育したものである。ウサギの繁殖では生まれたばかりの子ウサギを見ようとウサギ小屋をのぞいただけで母ウサギが子ウサギをカミ殺してしまった。子どもを守ろうとした母親の行為であることを父が教えてくれた。生命の尊厳と母親の子どもを守ろうとする愛情の深さを子どもの頃に体験した。
秋風が心地よく流れる静かなお寺のお堂で子ども頃の父を思い浮かべた。
今、TPPに関して農業が再びクローズアップされている。日本の農業、とりわけ農業者の暮らしを少しでも楽にしたいと思い続けた父はきっとTPP交渉参加に反対とは言わないと思う。日本の農業を守り、発展させ本当に農業に汗している人達の為の農業政策の実践以外に単にTPP反対だけでは我国の農業の将来はない。真に農業者のための農業政策の確立と実践そして日本の農業の発展に全力を尽くしたいと思う。そのことが農本主義者とまで言われた父の私への遺言であったかもしれないと思った。