日朝赤十字会談が3月3、4日中国瀋陽で開かれた。
これは2012年の8月以来約1年半ぶりのことである。その協議には両国共に外務省当局者も同席したことから今後の政府間協議の再開を視野に入れたものと報道された。 即ち、「拉致問題解決」にむけての日朝交渉への期待である。日朝赤十字会談開催との報道が流れた直後、私に取材の申し込みがありマスコミの取材にこの件については初めて応じた。 実は長い間、私は今日まで一切明らかにしてこなかったことであるが、2010年から2012年にかけて極秘で北朝鮮側と協議してきた。
きっかけは衆議院の北朝鮮による拉致問題特別委員会の委員長に就任したことからである。委員長に就任した以上、拉致問題の解決にむけ全力を注ごうと決意した。 そして、この拉致問題に関係する人に次々とお会いして話を聞き、又アドバイスも受けた。 横田めぐみさんのご両親の横田滋さん、早紀江さんご夫妻はもとより政府関係者、学者、ジャーナリスト等多数である。日本財団の笹川陽平理事長からも有益なアドバイスを頂いた。
そうした中、ある人を介して北朝鮮労働党幹部との協議の話しが私にもたらされた。当時の小沢幹事長から「個人という立場で会ったらどうか」という了解をもらった。その上で鳩山総理と協議し、完全に極秘で進めることにした。私の役割はあくまでも個人の立場であり、正式な政府間協議、交渉への環境づくりである。 協議は計4回、いずれも北京。すべて土日の2日間。宿泊先のホテルへ空港から直行しホテル内の小さな会議室で協議をし、翌日帰国。一歩も外へ出ることは無かった。協議中はミネラルウォーターのペットボトル1本だけでぶっつづけで約5時間、その後夕食をとりながらさらに2時間。翌朝、前日協議内容の互いの確認そして午後帰国というパターンであった。 とりわけ拉致問題についてはお互いに激しいやりとりであった。北朝鮮側は「解決済み」の一点張り、私は「冗談ではない。日本では誰一人解決済みとは思っていない」と、応酬が続いた。
また、2008年夏の政府間協議での合意事項である「拉致の再調査」についても北朝鮮側は否定の姿勢であった。詳細は明らかにできないが、私なりに2008年の政府間協議内容を精査した上で第2回目の協議に臨み、確信をもって強くその合意事項の実行を求めた。このことはそれなりに相手に響いたものと思う。
そして、第3回目の協議では、拉致問題に加え終戦前後の混乱期に朝鮮半島から引き揚げる途中、現在の北朝鮮領内で亡くなった日本人の内2万人とも言われている日本人遺骨が返還されていないことについて、その返還と遺族の墓参の受け入れについて要請をした。この点については検討し協力したいという返事があった。そして4回目の協議から数か月後2012年夏、あの小泉訪朝以来10年振りに日朝赤十字会談が実現することになったのである。
そして、同じ2012年の11月に4年ぶりに局長級の政府間協議も再開され順調に進むかに見えた。
しかし北朝鮮のミサイル発射実験によって、12月予定していた2回目の政府間協議が中止となってしまった。そして直後に衆議院解散。こうした経過を経て1年半ぶりに再開された日朝赤十字会談である。 取材に応じるにあたって記録した当時のノートを改めてひもといてみた。 協議しながらの走り書きのメモに今さらながら緊迫した中での激しいやりとりを思い出した。何とか拉致問題の解決に向けてその道筋をつくりたいという一心であった。
日本人遺骨収集・返還と墓参について少しふれておきたい。 拉致問題特別委員会の委員長に就任した後、多くの人に会った中に大学時代からの親友がいる。その時に彼はこんな話をした。 「自分の縁戚者に四元義隆さんがいる。その四元さんの両親は戦前、北朝鮮の清津(チョンジン)に住んでいて、父親は商工会議所の会頭をしていた。そして清津で亡くなり、お墓が清津にある。四元さんは長年墓参を願ってきたが、とうとうかなわず亡くなってしまった。その清津にゆかりのある人達が清津会という会をつくり、四元さんは長年その会長をしていた。墓参ができなかったので、沼津にある松蔭寺で毎年慰霊祭をしている。何とか墓参ができるようにしてほしい、又依然として多くの日本人の遺骨が残されたままになっている。これも一日も早く収集と返還ができるようにしてほしい」という話であった。この話が遺骨返還と墓参を私が提起したきっかけである。 四元義隆氏は西郷隆盛の遠縁であり、血盟団事件のメンバーであり、後に戦後の歴代総理、特に中曽根総理の指南役として有名な人である。
そして、ちょうど私が北朝鮮側と三回目の協議後のある時、その清津会の正木さん(現会長)らが私のところに墓参の陳情にこられた。 「今まで長いこと何人もの国会議員にお願いしてきているが未だに実現していない。関係者は高齢で墓参するにもこの1~2年のうちに実現できないともう体力的にも限界である。何としても生きているうちに墓参をしたい」と切々と訴えられた。 そこで、私は陳情案件として外務省に実現に向けた検討を依頼した。
それから約半年後の2012年8月に小泉訪朝時から10年振りの日朝赤十字会談に合わせたように長年の清津会の悲願であった墓参が初めて実現した。正木会長をはじめ関係者の皆さんから心こもった感謝の言葉をいただいた。以降今まで8回に渡って墓参が実施されている。
こうしたことからも私は今回の日朝赤十字会談が拉致問題解決に繋がることを強く期待している。
日本テレビ「news every.」より